人気ブログランキング | 話題のタグを見る

桂園遺稿 口訳 享和三年三月 3 蛸壺の歌と人丸神社に奉納する歌

◇(本文)くみまど(組み窓)の如きもの、いくらとなく磯ちかく浮き沈む。こは蛸壺のうけなるべし、または外のなりやなど、方晴ののたまふをきゝて、

わたつみの底にしづめるたこつぼのわれとのがれぬ世にこそありけれ

こはうつぶせたる壺を引きあぐるまにまに、いよよそこ(底)つかたにかゝ(ゞ)まりこみて、手もぬらさでえやす(得易)しと言ふを、いと哀におぼえて也。かへりみれば日くれぬ。明日は人丸大御神のまつりなりとて、大蔵谷のあたりいと賑しげなり。いざ、こよひ手向の歌よまむとて、わかちたる題十五首。

〇(訳)組み窓のようなのが、いくつとなく磯近くに浮き沈みしている。「これは蛸壺の受けだろう。それともほかのものだろうか。」などと、方晴氏が言われるのを聞いて、

(歌)「海の底に沈んでいる蛸壺のように自分から入ってしまうと、逃れられない世の中に住んでいることだ。」

これはうつ伏せた壺を引き上げる間に、蛸がいよいよ底の方にもぐり込んで、手も濡らさないで捕まえることができると言うのを、とても哀れに思って、こう詠んだのである。振り返ると日が暮れていた。明日は人丸大御神の祭だといって、大蔵谷のあたりがとても賑やかである。「さあ、今宵は神への手向の歌を詠もう」といって、分担して詠んだ題詠十五首。

◇(本文)

   残月越関

すまの関わが越えくれば有明の月はあかしに猶残りけり

   風破旅夢

くさまくら旅のゆめこそかなしけれ夜たゝ(ゞ)嵐に吹きとられつゝ

   嶺林猿叫

風(かざ)ごしの松原がくれ山猿の叫ぶこゑさへみねづたひせり

   翠松遶家  ※「遶」を訂正する。

やま松の中にすまひてよをうみのさまとも見えぬすまの浦びと 

    山家人稀

わがやどのかきねがくれのつゝ(ゞ)らをりくる人あらばまつ人にせむ

    野寺僧帰

あたご山しきみが原にくらしけんさが野を分る墨染の袖

    田家見鶴

みたやもり(御田屋守)ひた(引板)はなうちそ住のえの淺澤ぬまのたづさわぐめり

    樵路日暮

柴人のつねはいかならん山路にて日のくれたるはくるしかりけり

    晴後遠水

山おろし雨の八重雲吹にけりあらはれわたるむこ(武庫)の川水

    滄海雲低

天雲のたるみ(垂水)のうらの朝ぼらけ未(いまだ)わかれぬきぢ(紀路)のとほ山 

    漁舟連波

夕日さすふぢ江(藤江)の沖をみわたせば阿波までつゝ(ゞ)く蜑の釣舟

    江雨鷺飛

みしま江の波にぬれてはゐる鷺の雨にはいかで堪へぬなるらむ

    夜涙余袖

ねられねばかたしきかへしよはの袖右も左もぬらす頃哉

    憂喜依人

大方は楽しかるてふ世の中をなぞうき物に思ひとりけん

    竹契遐年  ※「遐」は遠ざくるの意。

むなしきは竹のこゝろとしりながら千世の後をも契りけるかな

〇(訳)「残月越関。須磨の関路を私が越えて来ると、有明の月の光は、明石の海の上にまだ残っていたことだよ。」

「風破旅夢。草枕の旅の夢はかなしいことだ。夜はただ嵐の音にその夢も破られがちで。」

「嶺林猿叫。そちらから風が吹いて来る松原のなかに隠れている山猿たち、その叫ぶ声さえ嶺伝いに聞こえているよ。」

「翠松遠家。山の松林の中に住まいしながら、世の中が憂いのでと言ってそむくようにも見えないことだ、須磨の浦びとは。」

「山家人稀。私の家の垣根隠れにみえるつづら折りの山道を、たまさかにやって来る人がいるなら、その人をわが風雅の友、待ち人とでもしようか。

「野寺僧帰。愛宕山のしきみが原に住んでおられたのだろうか。嵯峨野の原を通ってゆく墨染の袖の僧は。」

「田家見鶴。御田屋守は引板を打ち鳴らさないでおくれ。住の江の淺澤沼の鶴が一斉に騒ぎ立つだろうから。」

「樵路日暮。樵のわざに従う柴人の常の暮らしではどうしているのだろうか。山路で日が暮れてしまうのは苦しいかぎりであるよ。」

「晴後遠水。山おろしの風が雨の八重雲を吹き動かしたことだ。あらわれて広がって見えるのは武庫川の水だ。」

「滄海雲低。天雲の垂れる垂水の浦の朝ぼらけの時、まだ紀路の遠山ははっきり雲と見分けがつかない。」

「漁舟連波。夕日の射す藤江の沖を見渡すと阿波の国まで蜑の釣舟が続いているのがみえることだよ。」

「江雨鷺飛。みしま江の波に濡れても平気でいる鷺が雨にはどうして濡れるのをいやがるのだろうか(姿が見えない)。」

「夜涙余袖。寝られないので寝がえりを打つ夜半は、袖の左右をともに濡らしてしまう頃合だ。」

「憂喜依人。大方は楽しいものだという世の中をどうしてこうまで人は憂きものと思いなしたものだろうか。」

「竹契遐年。竹の契りは空しいことだと知りながら、千年後の世を約束してしまったことだ。」

※(注)一連、地名を多く詠みこんでいる。歌になりそうな景色に注意を働かせて過ごしていることがよくわかる。漁舟連波や、江雨鷺飛は実景だろう。見ようによっては、題の気分と実景の混り加減が、だいぶ実景寄りになっているところがおもしろいとも言える。その一方で「源氏」などの物語世界への見立てを作興の生まれるよすがとしようとしているから、その分安易な面もある。末尾の二首は書きなぐった適当な歌。


by saikachishinn | 2018-08-08 16:30 | 文芸

各種備忘研究録


by さいかち亭主人
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31